The history of RLA / GSA Sound System

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SPIRIT OF NYC DISCO SOUND SYSTEM

70年代の New York City が生んだ Disco/Night Club のサウンドシステムを考えた時、2つの名前がが頭に浮かんでくる。一つは David Mancuso の The LOFT ともう一つは RLA(Richard Long Asociates)だ。

The LOFT は Audiophile をもうならせるハイファイ系のサウンドシステムだ。 極上のリビングルームで最高のサウンド・システムを得た感覚。 社交場でのおしゃべりの邪魔をする様な音では無い、とてもジェントルで繊細な空間が広がっている。

そしてもう一方は RLA が手がける Paradise Garage や Studio 54 の様なタイトで壮大な音に包まれて踊る、ボディーソニックサウンドが特徴のサウンドシステム。そのサウンドシステムが生み出す怒涛のダンスフロアは、ひとたび足を踏み入れるとジャングルにでも迷い込んだように外の世界とは隔離された完全なる空間がオーディエンスを待っている。

この2つのサウンドシステムはそれぞれに違った方向性、性格ではあったがかかっていた音源は重なるものが多かった。それぞれの場所で週末をにぎわせ時はオーディエンスを幸福の渦の中に溺れさせ、またある時は狂気のどん底に陥れつつフロアのテンションが最高潮に達するし、曲が入るたびにたり肌が全身を覆った。

DJがその気になればその様な状況は70年代の DISCO や NIGHT CLUB では当たり前の“楽しみ方“であった。

David Mancuso や Richard Long は Alex Rosner 氏の音響哲学に深く共感し、発展させる事でそれぞれのサウンドシステムにその思想を取り入れた。Paradise Garage のメイン DJ を勤めた Larry Levan がサウンドシステムに対してリクエストするとそれに答えるべく Richard Long は日夜研究を重ねシステムを向上 Larry Levan の思いを具現化した。 Richard Long は時には Alex Rosner や David Mancuso に相談したり3者はサウンドシステム向上の為に多くの時間を費やした。

そうして生まれたのが Paradise Garage であり、The LOFT であった。

当時のスピーカーはホーンローデッドが主流だった。 ドライバーやウーファーの音がホーンを通ることにより音が拡散されよりパワフルに、より丸みの有る音が出せるのが特徴である。広いダンスフロアではよりその傾向が有利に働く。

RLA が Paradise Garage や Studio 54 のメインフロアにインストールしたスピーカーはすべてホーンローデッドのスピーカだった。 それはよりタイトでパワフルな広がりの有る音がダンスフロアには適しているから。 そしてホーンロードのスピーカーは RLA のトレードマークに他ならない。

Paradise Garage 全盛期の 1987 年 RLA の創設者 Richard Long はこの世を去った。才能有るサウンドマンの死は業界に大打撃を与えた。それは DISCO/NIGHT CLUB のサウンドシステムの発展に大きな雲をかけ、関係者は深い霧に覆われた。

Richard Long の死後、RLA は2人の人物によって会社が分けられた。残った本筋のRLA(RLA international)は順風満帆とは言い難いものがあった、まさに船長を失った船。どこに向かおうとしているのかさえわからない状況であった。この頃にはスピーカーの生産性や最大出力にばかり気が行き大型のサウンドシステムが主流となったあまりホーンは使わないアリーナクラスまで対応可能な高出力なスピーカーが売れ筋となった。パーティーの規模も大きくなったのがスタンダードの変化を生み出していった。よりハイパワーを欲したサウンドシステムの時代が到来た。

この頃 NY で GSA(Gary Stewart Audio)が活動を開始する。最初はレンタルが主体のスタイルだった。マンハッタンやファイヤーアイランドなどシステムが必要とされればどこへでもセッティングしに行った。

そして1990年代に入ると新しい時代のクラブカルチャーが生まれようとしていた。

今で言うハウスのトレンドを創り上げたロンドンの Ministry Of Sound だ。

NYC の RLA International ではロンドンの新しいクラブ Ministry of Sound(MOS)に向け他サウンドシステムの準備が行われていた。そして船で荷物をロンドンに発送後いよいよと言うとき、RLA International のスタッフが数名姿を消した。(今思うと荷が送られただけ幸いだった)

荷物はロンドンにすでに到着し MOS スタッフは早くサウンドシステムがインストールされるのを心待ちにしていた。

しかし残された RLA International のスタッフはアコースティック担当だったため、出音の最終調整はできるが大規模なサウンドシステムをインストールすることは出来なかった。当時の管理方法ではすべてプランはデザイナー、プランナーの頭の中だったので他人が、しかも記述者ではない者が完璧に音が出るようにセットアップすることは困難であった。ましてや、あの Ministry Of Sound London のサウンとシステムのため、素人な仕事で終わらせてくれる、なんてことは現場が許さない。

そしてスタッフの一人の頭に一人のエンジニアの名前が浮かんだ。

MR. GARY STEWART だ。

NYC に戻った彼はすぐに Gary Stewart へ連絡をしてロンドンまで一緒に MOS のサウンとシステムをインストールしてもらえるよう頼み込んだ。

Gary Stewart は快く引き受けて、完成したのがあの巨大な空間で巨大なシーンを作り出した“Ministry of Sound”である。

その業績は Gary Stewart にとっても RLA の未来にとっても意味のある物となり、NYC で巨大なクラブ Sound Factory(フルインストール)、ROXY(一部変更、もともとはRLA)などの成功が GSA の NYC での看板エンジニアとしての存在を不動のものとした。

その後オリジナルの Club Vinyl のサウンドシステム(後に Danny Tenaglia が買い取ったとの事)をインストールした David Soto との親交を深め、より“ガラージライク”なキャラクターのサウンドシステムを追求していくながれとなった。

そしてその答えとも言うべき NYC の Club LOVE が誕生した。オリジナルの RLA の原点に戻り今の技術を使うことによってよりノイズ対策やパワーコントロールの恩恵を受けつつ、オリジナル RLA スピーカーのボックスメーカーにオーダーしスピーカーを製造することになった。 Club LOVE は Richard Long が他界してから以降では初の純血の RLA スタイルのサウンドシステムである。

NYCでの Gary Stewart の仕事の評価は高まっていった。その噂は遠いアジアまで渡ることになった。世界中で信頼される仕事を積み上げていった。

そしてシンガポールの CLUB ZOUK のハートを射止めたのだった。

Club ZOUK のオーナーは NYC までスタッフを派遣し調査して GSA にコンタクトを取りシンガポールに Gary Stewart を招いた。

Club ZOUK のメインルームはフルスタックが4隅に並べられてた。フロアの形が長方形だったので真ん中にもスピーカーが置かれていたがフルスタックではなかった。

Full Stack Speaker System
人と並ぶと大きさがわかりますね。Bertha w Levan Horn, Wardolf, Lens Horn.

そのサウンドシステムは140DBをも軽く出力してしまうモンスターサウンドだ。しかも純血の RLA スタイルのスピーカー構成だ。

MOS ロンドンや Sound Factory の時と違うのは、純血の RLA スピーカーのタイトでラージな音だけでなく、Gary Stewart が厳選したプロセッサー類(基本的にアナログデバイスを使用)によって得られる壮大な空間処理だろう。

音のまろやかさ・パワーとどちらを取っても一級品。 その瞬発力はおそらく GSA/RLA 史上 1,2位を争うほどだと言われる。 その1年半後、Club ZOUK は併設する Velvet Underground と Phuture Room も GSA をフルインストール。 リオープンの週末は道路を塞ぐほどの人だかりが押し寄せ メインルームではエレクトリックな NY スタイルのダビーでヘビーボトムなパーティー、Velvet Undergroundでは繊細なDeep Houseが流れ、Phuture Roomでは Hip Hop の DJ に若者が踊り狂っていたのがとても印象的だった。

今回の Club ZOUK のサブルームのアップグレードの成功に ”Americana” と言う名前は非常に重要だった。フルレンジスピーカー Americana の復活は GSA にとってとてもプラスとなった。その音の表現性はスタジオラージモニター並でヘッドフォンの中にいるような感覚。 RLA ではライブパフォーマンス&小規模のインストール時に大活躍だった製品だ。 上海の MINX や Attica での経験が Club ZOUK にて十分に発揮されることとなった。

GSA Americana
Americana

そして2007年、カナダのスピーカーマニュファクチャーのバックアップにより、より高度な次元のスピーカーを研究、開発した。 ホーンローデッドを基本とした RLA スタイルのサウンドを継承しつつ、21世紀の技術を使ってダンスフロアを“ジャングル”に変えていくのだった。

後に Gary Stewart 氏はその権利を Pioneer へ譲ることになり、今なおその業績は受け継がれることになった。

GSA のインストールではいつも Richard Long 氏の写真を DJ BOOTH の中に入れていました。

そうすることによって NYC DISCO SOUND SYSTEM として恥じない仕事ができるように、とおもっていたのかもしれません。

Richard Long
Richard Long

part of this story was told me by Gary Robowsky.

R.I.P.

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